本日は全院午前中をお休みにして、スタッフみんなで神田明神に初詣をしてきました。
例年では飯田橋の東京大神宮に初詣に行っていたのですが、今年から「江戸の総鎮守」である神田明神にしました。
神田明神は法人での参拝客がものすごく多く、当初1月5日に行く予定でしたがあまりにも混み合うと言われたので1週間ずらしました。
本殿に上がってのご祈祷は、やっぱり身が引き締まる思いがしていいですね!
立派な木札だけでなく、スタッフ全員分のお守りもいただくことができました。
「新宿ライオンハート整骨院グループの社員スタッフと、患者様と、それらに関わる全ての人たちが、健康で明るく幸せな一年でいられますように。」
社員を幸福にすると言うくらいなのだから、何が幸福で、何が不幸かわかっていなければ、経営理念が嘘ということになります。
そもそも幸福とは何か?
突き詰めて考えれば、「幸福感」という個々の感情的なものをなるべくたくさん感じることだと思います。
他人から見てどんなに恵まれた状況でも、本人が幸福感を感じていなければ、結局本人は「不幸だ!」と言うかもしれません。
10人いれば10通りの価値観がある以上、こちらが「どうだ!これなら幸せだろ!」と用意した幸福の種が、相手にとってはまったく幸福と感じられない場合もあるでしょう。
結局、幸福感は本人しだいで変わってしまうものなので、会社が社員を幸せにするなんてことはおこがましいのかもしれませんが
なるべく社員一人ひとりとコミュニケーションを取り、相手の価値観を理解して、その人に合った幸福を与えてあげたいなと思います。
では、幸福の反対側にある不幸とは何でしょう?
世の中の不幸な出来事と言われるもの大部分は、大きく4つに集約されているようです。
1つめは「病気」、2つ目は「貧乏」、3つめは「争いごと」、4つ目は「悩むこと」
この4つは、個々の価値観に関係なくまちがいなく不幸と言えるかと思います。
しかも生きていれば誰にでも襲い掛かってくる現実的な不幸です。
面白いことに、上にあげた不幸の大半は、「お金」という力であっという間に解決することが可能です。
いままでたくさん、自分と家族と社員に起こった不幸のほとんどを、お金の力を使って一発で解決してきました。これからもそうします。
もちろん、人生はお金が全てなどとは思いませんが
社員の幸福感を増やし、襲ってきた不幸をやっつけるために、お金は最強の武器です。
「お金」と「相手を思いやる心」を持つことがが、経営者には絶対必要です。
東京都心部で整骨院を展開する、新宿ライオンハート整骨院グループは5年くらい前から組織化をすすめている。
組織化とは「役割分担」「分業」「担当を決める」ということ。
メリットは大きく2つある。
一つは、分業することによってそれぞれの専門性が高まり、経営力が強くなるという点がある。
もう一つは、役目が明確になった分、与えられた分野に対する責任感が生まれることがあげられる。
「役」のない人は舞台に上がれない観客のようなものだ。
「役」を持つとは、自分の私利私欲で生きるのではなく、「公」のために自分の命を使うということだ。
大義を感じて仕事をなり人生なりを全うしていくことが、一番気持ちいい生き方だと思う。
役目を果たすという行為は、言い換えれば使命を見つけたとも言える。
柔道整復師・鍼灸師・あんまマッサージ師の使命は、治療という分野では人の痛みを取り除くという使命がある。
しかし、治療は全体の中の一部でしかない。
人生の使命、家庭中での使命、社会の中でのそれぞれの立場の中での使命、会社という組織の中での使命、部下や後輩を持った立場での使命、治療家という中での使命…
使命とは、役目を果たすこと。
自分の役割や役目を認識している人は強いように思う。
会社の文化というものがあります。
文化はそこにいる人たちの考え方や心のありようが現れたもの。
会社とは、そこにいる社員スタッフそのものであり、
社員スタッフの想いが現れた文化の結晶です。
会社にとっては、人と文化が一番の財産です。
経営者でも、院長や副院長でも、自分に部下でできた時にいろいろと悩むものです。
10年くらいまえに何かの本に載っているのを見て、今でも心に残っている大切な文章があります。
徳川家康が書いたといわれている「大将の戒め」です。
「大将の戒め」
大将というものは
敬われているようで その実家来に
絶えず落ち度を探られているものだ
恐れられているようで侮られ
親しまれているようで疎んじられ
大将というものは
絶えず勉強せねばならぬし
礼儀もわきまえねばならぬ
よい家来を持とうと思うなら
わが食を減らしても
家来にひもじい思いをさせてはならぬ
自分一人では何もできぬ
これが三十年間つくづく
思い知らされた家康が経験ぞ
家来というものは
禄でつないではならず 機嫌をとってはならず
遠ざけてはならず 近づけてはならず
怒らせてはならず 油断させてはならぬものだ
「では どうすればよいので」
家来はな 惚れさせねばならぬものよ
いくら「社長」「院長」などと肩書がついていても、それだけでは部下の気持ちを動かすことはできません。逆に肩書がなくても、人の心を動かせる人もいます。
よく「部下が言うことを聞いてくれない」とか「ちゃんと言ったんですけどね…」などとぼやいている人を見かけますが、それは肩書だけでその人自身の中身が伴っていないのではないでしょうか?人間として惚れられていないのではないでしょうか?
大事なことは「肩書」ではなく、その人そのものが「どんな人物」であるかということです。そのことをわからずに、院長だからというだけで部下がみんな言うことを聞くなんてことはありません。
まぁ、気長に地道に自分を磨いていくしかないってことですね。